蒼海は歌う 愛と喜びを
第十一章 二人は仲良し
シュウとマナフィは仲良しだ。
ハルカはいつもそう思っている。
もちろん、自分を取り合って喧嘩することはしょっちゅうだけど。
でも、その喧嘩だって仲良しだからするのだ。
仲が良くなかったら、そもそも喧嘩に発展する前にシュウはマナフィを抑えつけてしまうだろう。
シュウはマナフィと喧嘩をするのが好きなのだ。
そしてマナフィも。
自分の言うことは何でも笑顔で聞くのに、シュウにはそうじゃない。
マナフィはシュウに対しては駄々をこねるのだ。
アクーシャに来てから今までずっと。
そう、今でも二人は喧嘩中。
「はい、ハルカ、あーん。」
「シュウ、ダメー!ハルカ、マナフィがあーんってするのー!」
「いいや、これはぼくの役目だ。マナフィはそこで見てるといいよ。」
「シュウがマナフィみてるのー!」
「いや、あの、ベッドに病人がいるのに騒がないでほしいかも……。」
ベッドに起き上がり、ハルカはため息をつく。
ああ、今日も本当に平和よねぇ。
朝から賑やかな二人を見る。
シュウとマナフィはどちらがハルカに木の実を食べさせるかで喧嘩していた。
ハルカは現在療養中である。
一昨日から熱が続いているが、昨日はずっと寝ていたため、今朝はほとんど良くなっている。
しかし、二人はハルカをベッドから出そうとせず、こうやって朝食まで部屋に持ってきているのだ。
そう、持ってきてはいるのだが……
「マナフィは木の実の皮むけないだろう?ほら、水の民が使っていたナイフは君の手には大きすぎる。というわけで、ハルカはぼくの手から食べるのさ。」
その理論は強引ではないだろうか。
「ちがうー!かわむかないのー!クラボかわむかなくていいし、ヒメリかわもえいよういっぱいあるのー!」
それってシュウの受け売りよね?
「でも、ハルカが好きなのはモモンだよ。ほら、ぼくは角切りだって出来るんだ。」
シュウがお皿に載せたサイコロにも使えそうな完璧な立方体を示す。
どうせ食べるのだからそこまで完璧にしなくても良いのではないだろうか。
「でも、はやくげんきになるにはオレンってシュウいったー!」
マナフィが両手に持っていたクラボとヒメリをベッドに置いて、持ってきていたオレンを手に取る。
やはり、先程のヒメリの知識もシュウの受け売りだったらしい。
風邪に良さそうな木の実を片っ端から持ってきたのだろう。
テーブルにもベッドの上にもかなりの数の木の実が転がっている。
「まあ、確かに、体力回復にはオレンだね。だったら、マナフィはオレンを食べさせてあげるといい。」
何だかんだ言っても、マナフィにもハルカに食べさせる役目をあげるらしい。
そこはシュウの良いところだと思う。
「でも、一番はぼく。」
「シュウずるいー!」
しかし、大人げない。
衣の裾を引っ張るマナフィに構わず、ベッドに腰掛けたシュウがハルカに向き直る。
角切りモモンを一つ摘まんで笑顔で差し出してきた。
「さ、ハルカ、あーんして。」
「ダメー!マナフィがさいしょー!ハルカにたべさせたいー!」
「自分で食べられるからそんなに喧嘩しなくても……。」
そう呟いた瞬間、部屋の空気が激変した。
シュウは眉を寄せてこちらを睨みつけているし、マナフィはいくらシュウにやり込められても決して見せなかった涙を浮かべている。
くるっとこちらに背を向け、二人で何やらひそひそ話し始めた。
やがて、こちらに向き直り、笑顔で一言。
「じゃあ、君は朝食抜きで。」
「ぬきでー。」
「何でそうなるのよ!」
思わず突っ込む。
木の実を食べさせたい一心で喧嘩していたくせに、自分で食べられると言った途端、朝食自体食べさせないということで結託した。
この二人、本末転倒もいいところだ。
シュウは分かってやっているのだろうが、マナフィはまた違うようだ。
多分、マナフィの中で目的が「ハルカに木の実を食べさせること」から「自分の手で木の実を食べさせること」に変化しているのだ。
それはきっとマナフィが何でもシュウと競争していたから。
そのため、マナフィは自分の手で食べさせることにより熱心になっている。
シュウがそんな風にマナフィと張り合うから。
しかし、今回は二人同時に争奪戦からリタイアせざるを得なくなったことで、「ハルカに木の実を食べさせる」という本来の目的まで無くなってしまったのだろう。
それで、おなかを空かせている上に栄養が必要な病人を放置するなどという極悪非道な子どもに育ってしまったのだ。
「パパの教育が悪いせいよ……。」
「何か言ったかい、ハルカ?」
「別に。」
もちろん、本気で朝食抜きと言ったわけではないだろうけど。
その証拠に、マナフィはキラキラした目でこちらを見上げている。
「……マナフィ、シュウに何て言われたの?」
「ハルカ、ほっといたらたべさせてほしいっていうってー。さきにたべさせたほうがおひるはあとー。」
取引までしている。
しかも、お昼もこうして食べさせるつもりらしい。
シュウの顔を見上げると、摘まんだモモンの角切りを笑顔で差し出してきた。
「……。」
ハルカはしばらく無言でシュウの顔を見つめていたが、シュウが全く笑顔を崩さずにいるのにため息をついた。
観念して小さく口を開ける。
「いい子だね、ハルカ。」
「ハルカ、いいこー。」
二人の喜ぶ声を聞きながら、ハルカは甘い木の実を飲み込んだ。
ハルカは白い明かりの灯る廊下を歩いていた。
ほとんど良くなっているのにベッドに一人で寝ているのが退屈になったのだ。
結局、朝食は全て二人に食べさせてもらう羽目になった。
……別に嫌ではなかったのだけれど。
問題は、そのほとんどがシュウだったことだ。
マナフィはモモンのように実と皮がくっ付いている果物だけではなくて、オレンの皮もむけなかったのだ。
いつもシュウがむいてあげているのが原因だった。
そのため、マナフィがオレンの皮をむけないことをシュウもマナフィ自身も知らなかったのだ。
もちろん、小さなクラボやヒメリも持ってきていたから、それを食べさせてはもらった。
しかし、マナフィの持ってきた木の実はほとんどがオレンだった。
マナフィはあの実が好きらしい。
前は嫌いだったようだが、今では毎日食べるほどの気に入りようだ。
しかし、大量に持ってきていたオレンの皮がむけなかったことで、マナフィは泣く寸前だった。
それで、シュウがマナフィの気を紛らわすために、マナフィをいつもの大きな庭園に遊びに連れて行ったのだ。
あそこには水ポケモンも沢山いるし、遊んでいる内に朝食のことなんて忘れてしまうだろう。
しかし、そうなると退屈なのはハルカだった。
昨日は二人が一緒に寝てくれたからまだ良かった。
しかし、今は眠くないし、二人が一緒に眠ってくれないからつまらない。
熱もほとんど無いし、激しい遊びでなかったら、二人やポケモン達も仲間に入れてくれるだろう。
そう思ってハルカは庭園に向かっているのである。
庭園が近づいてくると、芝生に座ったシュウがマナフィを膝に乗せて何かを話しているのが見えた。
ポケモン達はいないが、あれなら自分も仲間に入れてもらえるだろう。
そう思ってハルカは二人に駆け寄る。
しかし、庭園の入り口に差し掛かった所でピタリと足を止めた。
二人の話し声が聞こえたのだ。
廊下の陰に隠れて二人の様子を伺う。
「ほら、マナフィ、もう一度やってごらん。今度はきっと上手くいくから。」
「……もーいい。きっとこんどもダメ。」
「そんなことはない。初めの頃より随分上達してるよ。」
何の話をしているんだろう。
ハルカは少しだけ顔を覗かせる。
シュウが手に持った何かを差し出していた。
マナフィが涙を浮かべている。
二人の座っている辺りに沢山の青い何かが散らばっていた。
何だろう……。
目を凝らすと、青い色をした何かの正体とシュウの持っているものが同じだと分かった。
草の上に大量に散らばった青い何かはオレンの皮だった。
シュウからオレンを受け取ったマナフィがオレンの皮をゆっくりむいていく。
「そう、くぼんだ所に穴を開けて、その穴からあまり大きくない程度に皮をむいていって……。」
しかし、半分程むいたところで力を入れすぎたせいか、オレンの実はつぶれてしまった。
「フィ……。」
マナフィが泣き出す。
シュウはそんなマナフィの頭を優しく撫でていた。
衣を濡らすオレンの汁に構わず、マナフィの手からつぶれたオレンの実を受け取る。
「ほら、マナフィ、おいしいよ。」
シュウはマナフィのむいたオレンを一房ずつ食べていた。
「……シュウのうそつき。そんなオレン、おいしくないにきまってる。」
「そんなことはないよ、マナフィ。君がむいてくれたんだ。とてもおいしいよ。」
ぐずるマナフィを優しく慰める。
「もう一度挑戦してみよう、マナフィ。半分出来たんだ。今度はもっと沢山むけるよ。」
「またしっぱいしたら?」
「その次にむけるようになればいい。大丈夫、諦めずに練習したらきっと出来るよ。」
シュウはマナフィの手に新しいオレンを載せる。
「ね、マナフィ。このオレンだってこんなにおいしいんだ。全部むけたらハルカもおいしいって言って食べてくれるよ。」
その言葉にマナフィはコックリ頷く。
そうしてまたオレンの皮をぎこちない手つきでむき始めた。
それを見届けて、ハルカはそっと顔を引く。
そのまま、部屋に向かって静かに歩いていった。
「ハルカ、あーん。」
「はいはい、マナフィ、そんなに急がなくてもちゃんと食べるわよ。」
お昼時のベッドの上。
ハルカはマナフィにオレンの実を食べさせてもらっていた。
マナフィが綺麗に皮をむいたオレンを一房ずつ差し出してくる。
「ハルカ、おいしー?」
「ええ、おいしいわ、マナフィ。」
微笑んでそう言うと、マナフィは嬉しそうに飛び跳ねた。
「良かったね、マナフィ。ハルカが喜んでくれて。」
シュウが部屋に備え付けてある小さなドアから出てくる。
ベッドに腰掛け、マナフィの頭を撫でた。
「うん!シュウ、ありがとー!」
「どういたしまして。」
笑顔でお礼を言うマナフィにシュウも笑顔を返す。
「ありがとう、シュウ。」
「どうして君までぼくにお礼を言うんだい、ハルカ?」
シュウがマナフィに向けていた笑顔に少しだけ苦みを混ぜる。
「服があんなになるまでマナフィに教えてくれてたから。」
お昼時に二人はここに帰ってきたのだが、シュウの衣はオレンの汁でベトベトだった。
今の今まで、シュウは浴室で衣を洗っていたのだ。
シュウは上品な薄い紫色の衣を着ている。
いつも着ている水色の衣を乾かしている間はそれを着るようだ。
「よく似合うわ、シュウ。」
「はいはい、君もこれで元気になってくれると嬉しいんだけどね。」
その言葉にハルカはクスリと笑う。
「シュウもマナフィのむいてくれたオレン食べる?おいしいわよ。」
冗談交じりに聞いてみる。
「いや、遠慮しておくよ。ぼくはもう十分マナフィにむいてもらったからね。」
もう限界のようだ。
確かに、草の上に散らばったオレンの皮の分だけオレンを食べていたらしばらくは無理だろう。
「優しいのね、シュウ。」
「マナフィが優しいからね。」
二人で微笑み合う。
そこへ小さな手が割って入ってきた。
「ハルカ、あーん。」
「ええ、ありがとう、マナフィ。」
ハルカはまたオレンを口に含んだ。
ハルカは再び白い廊下を歩いていた。
目的地はもちろんいつもの庭園。
昼食が終わると、シュウは頑張ったマナフィをねぎらうため、庭園へマナフィと遊びに行ってしまったのだ。
自分が残ってほしいと頼めば二人は部屋に残ってくれたのだろうけど、頑張ったマナフィには思い切り遊んでほしかったから。
それで快く送り出してはみたのだけれど、やはり残された自分は退屈で。
だから、ハルカは庭園に向かっている。
二人は自分の体を案じてくれているからあまりいい顔はしないだろうけど、オレンを沢山食べたから元気になったと言えば一緒に遊んでくれるだろう。
二人は何をして遊んでいるだろう。
ハルカは少し駆け足になった。
庭園に着くと、先程のようにポケモン達はおらず二人だけだった。
しかし、二人のしていることは先程とは違う。
二人は草の上ですやすや眠っていた。
「二人とも……。」
ハルカはクスリと笑う。
きっと疲れたのだろう。
シュウもマナフィもずっと真剣に皮むきの練習をしていたのだから。
ハルカは二人に歩み寄る。
二人は向かい合って、まるで親子のように同じ顔で眠っていた。
ハルカは二人の隣に座り、愛しげな眼差しで二人を見つめた。
シュウの髪を梳く。
マナフィに軽く手を置き、こちらにあどけない顔を向けて寝息を立てている。
マナフィの頭を撫でる。
マナフィはもぞもぞ体を動かしてシュウの手に擦り寄った。
本当に二人は仲良しだ。
マナフィはいつでもシュウには全力だ。
自分に遠慮しているというわけではないのだけれど、シュウにはまるで体当たりをするかのようにぶつかっていく。
そうやって駄々をこねたり、すねたり、ふくれたり、一緒に笑い合ったり。
シュウだってマナフィにはいつも真剣だ。
大人げないという言い方は悪いけれど、本当に大人げない。
いつも他人とは当たり障りの無い、言い換えれば一歩引いた付き合いしかしないのに、マナフィにはこちらも体当たりでぶつかっている。
あんなに思ったことを口に出して、思ったままの行動をするシュウなんて見たことが無かった。
いや、自分に対してはもう少し大人だけど思ったままの行動をする。
それでも、自分以外に対してこんな行動をするシュウをハルカは初めて見た。
それだけ互いに心を許しているという証。
飾り気もなく、ありのままの自分で。
だからこそ、こんなに穏やかな顔を見せて眠っていられる。
ここでシュウの手が動いた。
「?」
ハルカが見ていると、シュウはマナフィを胸に引き寄せてぎゅっと抱きしめた。
シュウの胸に顔をうずめたマナフィが何か小さく呟いている。
耳を寄せると、シュウの柔らかな吐息と共にマナフィの声が聞こえてきた。
「シュウー、すきー……。」
眠っている時でもこんなに仲良し。
ハルカはクスリと微笑む。
「ちょっと妬けちゃうかも……。」
それでもその微笑みは微笑みのままで。
ハルカは二人の頭を優しく撫でる。
そして、静かに歌い出した。
遠い昔に歌ってもらった子守唄を。
かつて仲間や弟と旅をしていた時に歌った子守唄を。
大切なものを慈しみ、愛する歌を。
ハルカの美しい歌声が庭園に流れる。
大切な二人が微かに笑みを浮かべた。
歌は始まりと同じく静かに終わった。
ハルカは気持ち良さそうに眠る二人を見やる。
しばらく考えていたが、やがて自分も横になった。
大きな背中に両手を回す。
腕に抱かれているマナフィごと、シュウを抱きしめた。
「愛しているわ、私の一番大切な二人。」
小さく呟き、二人に口付けを落とす。
そして、再び強く抱きしめた。
二つの温もりがハルカを柔らかな眠りへと誘う。
ハルカは静かに目を閉じた。
「どうして君はいつもいつも考えなしの行動をするんだ!」
「ハルカ、こんなとこでねちゃダメー!」
「これだからぼくだって怒鳴らずにはいられないんだ!」
「またかぜひどくなるー!」
「いや、だって、二人があんまりにも気持ち良さそうだったからつい……。」
「ついじゃない!!」
声まで揃えて自分を叱り付ける。
二人に大音量で「ハルカ!」と怒鳴りつけられ目覚めたのはついさっき。
目を開けると、二人は全く同じ顔をして自分を見下ろしていた。
目を三角にして険しいという言葉がピッタリの表情で。
つまり、物凄く怒っていた。
「二人だけで眠ってたからわたしも一緒に眠りたくて……。」
「だからと言って、病人がこんなところで眠っていいと思ってるのか!?」
「ハルカ、もーちょっとじぶんのことかんがえるー!」
また揃って怒鳴られる。
ハルカはチラリと二人の顔を見る。
とても怒っていた。
その怒りは無茶なことばかりする大切な大切な人のために浮かべられているもので。
そんなところまでそっくり。
二人に叱ってもらえるのがくすぐったくてたまらない。
二人に愛してもらえるのが嬉しくてたまらない。
ハルカはクスクスと笑う。
「……ハルカ、反省してるかい?」
「実はあんまり。」
「これだから君は!」
また二人に叱られる。
それが嬉しくて、ハルカはまたクスクス笑う。
ハルカの笑い声は、呆れ果てた二人がついに叱るのをやめてハルカをベッドに強制送還するまでやむことは無かった。
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