蒼海は歌う 愛と喜びを



第十章   マナフィの仲直り大作戦

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かが言い争う声が聞こえる。

この声は……声を荒げたりなんかめったにしない二人の声。

昨日の夜だって、マナフィにおやすみと穏やかに言ってくれた二人の声。

なのに、二人の声は休むことなく続いていく。

しかも、どんどん大きくなっているようだ。

マナフィは目を開けた。






「どうして君はいつもいつもそうなんだ!」

「何よ!シュウには関係ないでしょう!?」

「関係なくはないだろう!君も意地を張ってないで大人しく言うことを聞くんだ!」

「ハルカ、シュウ……?」

マナフィを挟む形でベッドの上に座っていた二人がハッとこちらに顔を向ける。

「ごめんなさい、起こしちゃったわね。」

ハルカが気まずそうにマナフィの頭を撫でる。

「ハルカ、どーしたのー?」

マナフィは起き上がってハルカの膝に乗る。

今まで大声を張り上げていたハルカはそれが嘘だったかのように黙り込んだ。

代わりにシュウがハルカの膝からマナフィを抱き上げる。

「ハルカはね、ぼく達に――。」

「マナフィを巻き込まないでよ!」

ハルカがシュウの手からマナフィを奪い返す。

「ハルカ、どうして君は何も考えないで行動するんだ。」

シュウが怒った口調で言う。

「このままにしておくわけにも――。」

「シュウはもう出てって!お説教なら沢山よ!」

ハルカはマナフィを抱きしめたまま、シュウから顔を逸らす。

マナフィがシュウを見上げると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「……分かった。」

シュウはベッドから降りて扉へ向かう。

マナフィがハルカの肩越しに見つめる先で、扉はバタンという音と共にシュウの姿を隠してしまった。






「ハルカ、ここシュウいないー。」

「分かってるわ。だから、ここに来たの。」

ハルカとマナフィがいるのはいつもの庭園ではなく、神殿の隅にある小さな草地だった。

傍を流れる細い水路から水を掬い、ハルカは顔を洗う。

持ってきた布で顔を拭いているのをマナフィが眺めていると、ハルカがちらりとマナフィを見返した。

「……わたしは悪くないかも。」

こちらからは何も言っていないのに、ムスッとした顔で呟く。

「ハルカ、シュウとなにがあったのー?」

多分、さっきまでの言い争いのことを言っているのだろう。

そう思ったマナフィはハルカに尋ねる。

「……別に何もないかも。」

ぷいと顔を背けてしまった。

自分から言ってくるから聞いてほしいのかと思ったのにそうじゃないらしい。

今日のハルカは難しい。

そんな難しいハルカは柔らかい草の上でコロリと寝転んだ。

「ハルカ、あさごはんたべないのー?」

神殿の中央に位置するいつもの大きな庭園ほどではないにしても、ここにも数本は実を付けた木がある。

その中にはハルカの好きな木の実もあったはずだ。

なのに、ハルカは取ろうともせず、こちらに背を向けて寝転んでいる。

「……シュウの顔が浮かんできてむかつくからいらない。」

あのハルカが朝ごはんを食べない?

「ハルカ、ほんとになにがあったのー?」

今朝のハルカはおかしい。

難しいし、朝ごはんを食べようとしないし、何より大好きなはずのシュウの傍にいようとしない。

「ハルカ、どーしたのー?」

マナフィがハルカの顔の前に回り込むと、ハルカは寝返りを打って顔を逸らしてしまった。

顔の前に走っていってもう一度覗き込むと、また寝返りを打つ。

何度もそれを繰り返している内に、マナフィは走り疲れてしまった。

仕方が無いので、自分だけ朝ごはんを食べようと思ったが、木になっている実に手が届かない。

いつもならシュウやハルカが取ってくれるし、二人がいない時は神殿のポケモン達が取ってくれていたが、ハルカはこちらを見ようともしないし、こんな狭い場所にはポケモンもいない。

困ったマナフィはハルカの背中を揺らした。

「ハルカ、シュウのとこいこー。」

ハルカがシュウに会いたくないのは分かるが、いつまでもこんな所で寝そべっていたらシュウが心配する。

それに、自分もおなかが空いたし。

「……マナフィ一人でいけば。」

ハルカが低い声で呟いた。

「……。」

どう言っても一緒に行ってくれる気はないらしい。

ハルカの声はそんな声だった。

仕方なくマナフィは一人で庭園に向かって水路を泳いでいった。






思った通り、庭園にはシュウがいた。

水路を流れる水に足をひたしながら木の実を食べている。

「シュウー。」

マナフィが水路から上がってトテトテ駆け寄ると、ちらりとこちらを見てすぐに顔を逸らした。

「ぼくは言いすぎたとは思ってないよ。」

「……。」

まさかシュウも難しくなってる?

ハルカと同じ行動パターンにマナフィは考える。

でも、ハルカと違って寝転んでないし、木の実を食べているし。

シュウだったらハルカよりは話しやすいかもしれない。

マナフィはシュウの隣にちょこんと座る。

「シュウ、マナフィおなかすいたー。」

その言葉に、今までマナフィの顔を見ようとしなかったシュウがビックリしたように振り向いた。

「マナフィ、君はハルカと朝ごはんを食べたんじゃないのかい?」

「ハルカ、いらないってー。ずっとねてるー。」

マナフィがそう言うと、シュウは難しい顔をして顎に手を当てた。

「シュウむかつくからっていってたー。」

むかつくという言葉がどういう意味か知らないけれど。

それを伝えると、シュウは眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった。

「シュウ?」

「……バカバカしい。どうしてぼくがここまでしてやらないといけないんだ。」

シュウは吐き捨てるように呟くと、傍に置いてあった木の実をいくつか手に取った。

「ほら、マナフィ。分からず屋のお母さんは放っておいて、ぼくと一緒に朝ごはんを食べよう。」

マナフィは木の実を受け取って口を付ける。

甘くて柔らかい、それはハルカの好きな木の実だった。






マナフィは木の実を持って水路を泳いでいた。

朝ごはんの時も、その後も、シュウは何も話してくれなかった。

こちらから聞こうとしても、ハルカの名前が出ただけで顔を背けてしまう。

こんな難しいシュウも初めてだった。

朝ごはんを食べ終わったマナフィはハルカの所に木の実を持って行ってあげることにした。

もう起きているだろうし、おなかも空いているだろう。

そう思って、シュウに貰った木の実を持って先程の草地に向かっている。

本当はシュウにも来てほしかったけど、やっぱりダメだった。

「マナフィ一人で行けばいいじゃないか。」

ハルカと全く同じ声で、全く同じセリフを言う。

そんなわけで、マナフィは諦めざるを得なかったのだ。

「……シュウとハルカのいじっぱり。にたものふーふ。」

水の中で最近覚えた言葉を呟く。

「いじっぱり」というのはベッドの上で二人が言い争っていた時にシュウが使っていた言葉。

多分、ハルカだけじゃなくて、ハルカと同じことをしているシュウにも当てはまる。

「にたものふーふ」というのは、前にハルカが自分のパパとママのことを話していた時に使っていた言葉。

その時のハルカは「仕方が無いんだから、あの二人は。」と呆れた口調で言っていたから、これはきっとそう呟きたくなる時に使う言葉だろう。

ちょうど今みたいに。

ハルカは呆れた口調だったけど、本当に呆れているわけではなくて。

愛してる気持ちが言葉の端々からにじみ出ていて。

ハルカはパパとママが大好きなんだとすぐに分かった。

きっと、「にたものふーふ」というのはそういうときに使う言葉。

パパとママが大好きな子どもが使う言葉。

「ハルカもシュウもしかたないー。」

マナフィはハルカと同じ口調で呟きながら水路を泳いでいった。






マナフィが水路から顔を出すと、ハルカはまだ寝転んでいた。

マナフィはハルカの顔の前に回り込む。

「ハルカ。」

名前を呼ぶと、閉じていた目をうっすらと開いた。

「……マナフィ、シュウのところに行ったんじゃなかったの?」

「ハルカ、おなかすいてるとおもってもってきたのー。」

マナフィは木の実を差し出す。

しかし、ハルカは受け取ろうとしなかった。

「ハルカ?」

「……いい、食べたくない。」

「シュウおもいだしてたべたくないのー?」

マナフィの言葉に、ハルカは目をパチクリさせる。

「何それ?」

「……。」

ハルカが朝ごはんを食べない原因はシュウにあるのではないらしい。

自分が何を言ったか忘れている時点でそれは明らかだ。

だったら、食べなくない本当の理由は何だろう。

「ハルカ、ほんとにどーしたのー?」

マナフィがそう聞くと、ハルカは顔を背けてしまった。

顔の前に回り込む度に寝返りを打つというさっきと同じ動作を繰り返す。

「……もーいい。シュウにきーてくる。」

シュウもハルカと似たようなものだったが、まだシュウの方がとっつきやすい。

マナフィは木の実をハルカの枕元に置いて、水路に飛び込もうとした。

が、それは一歩も進まないうちに阻まれる。

いつの間にかこちらを向いたハルカがマナフィの手を掴んでいた。

「……マナフィ、いかないで。ここにいて。」

そのまま手を引っ張って抱きしめてくる。

「お願い、怒ったんだったら謝るから置いていかないで……。」

別に自分は怒ってなどいない。

ハルカが答えてくれないから、もう一度シュウに聞こうと思っただけなのに。

でも、ハルカは震えながら抱きしめてくる。

強い力。離れていってほしくないという想いが伝わってくる。

「……。」

でも、その気持ちを本当に伝えるべき相手は他にいるのではないだろうか。

ハルカもシュウもいじっぱりでにたものふーふだから、それを素直に表せないだけで。

マナフィは水路に触覚を伸ばす。

流れる水にハルカの想いを乗せた。






ハルカの心の声がマナフィを通して流れを染めていく。

『本当はあんなこと言いたかったんじゃないのに。』

『シュウが心配してくれて嬉しかったのに。』

『でも、知られたくなかったから、知られたと分かった時に思わず大声を出してしまったの。』

『心配させたくなかったから。シュウとマナフィにそんな顔させたくなかった。』

「ハルカ……?」

見上げたハルカの目には涙がにじんでいた。

『でも、シュウが出て行って、マナフィもいなくなって。二人の顔が見えなくなった途端怖くなった。』

『二人の名前を呼んでも応えてもらえない。二人の姿を探しても何も映らない。』

『二人のところに行きたくても体が動かない。』

『寂しかった。もう独りぼっちは嫌……。』

ここでマナフィは心を流すのをやめた。

ハルカの寂しい想いで胸がはちきれそうだった。

「ハルカ、マナフィここにいる。ハルカ、ひとりぼっちじゃない。」

ぽろぽろと涙を流すハルカの顔に手を当てる。

「だいじょーぶ、ハルカ。マナフィ、ずっといっしょ。」

熱い体温と熱い涙が混じって、マナフィの手に訴えかけてくる。

寂しいと。

「だいじょーぶ、ハルカ。もうすぐさびしくなくなる。」

マナフィの耳に廊下を駆ける足音が聞こえてくる。

「ずっといっしょ。マナフィとシュウ、ずっとハルカのそばにいる。」

息を切らしたシュウが草地に姿を現した。






「ハルカはね、熱があったんだよ。」

シュウがベッドに腰掛けて、ベッドに寝かせたハルカの髪を撫でる。

「ねつー?」

ハルカの枕元に座ったマナフィはシュウの顔を見上げる。

「きつくてだるくて苦しかったんだよ、ハルカは。」

思わずハルカの顔を見ると、こちらを潤んだ目で見つめていた。

「……あなたにそんな顔をさせたくなかったから隠してたの。」

手を伸ばしてマナフィの頬を撫でてくる。

その手はとても熱かった。

「ハルカ、いつからくるしかったの?」

「……昨日の昼くらいから。」

全く気付かなかった。

昨日もずっとマナフィと遊んでくれたのに。

ハルカは辛いのを我慢して笑ってくれていたのだろうか。

それに全く気付けなかった。

「……マナフィ、そんな泣きそうな顔をしないで。」

ハルカこそ泣きそうな顔をしているのに、今でもマナフィを気遣っている。

「……うれしくない。」

マナフィはポツリと呟いた。

「マナフィ、そんなのうれしくない。かくされるのうれしくない。」

気遣われるのが嬉しくないわけじゃない。

でも、体の調子が悪いのに、無理をしてまで笑ってほしくなかった。

「だから、君の隠しているものの正体が分かった時、ぼくは思わず大声を出してしまった。」

シュウはハルカの髪を撫でていた手をとめる。

「ぼく達に心配をかけたくなかったという君の気持ちよりも、気付かなかった自分に対する怒り、気付けなかった自分に対する情けなさ。何より、愛する人に頼ってもらえない自分への憤りで、ぼくは何も見えなくなっていた。」

シュウの手がハルカの額に乗せられた。

「あんな言い方をしたら、君が反発するのは当然なのにね。」

ハルカの額の熱を自分の手に移そうとするかのように、シュウの手はハルカの額を覆っている。

「それを分かっていても止められなかった。それどころか、体調の悪い君を放っておくような真似をしてしまった。」

シュウが頭を下げる。

「ハルカ、す――。」

「謝らないで、シュウ。」

ハルカの指がシュウの唇に当てられていた。

「謝るのはわたしの方。あなたの言っていることは全部正しかったのに、知られてしまったショックで反発してしまった。」

あなたを頼らないことがあなたを一番傷つけると分かっていたのに。

「シュウ――。」

何かを言おうとしたハルカの唇が動かされることはなかった。

シュウがベッドに肘をついて、ハルカの唇を覆っていた。

ハルカの言葉を飲み込んだシュウは顔を上げる。

「君は謝るべきじゃない。そして、君に言われてしまってはぼくも謝れない。」

だから、とシュウは続ける。

「君の望みを言って。謝るより、謝られるより、ぼく達にはそれがふさわしい。」

その言葉にハルカが唇を動かす。

「一緒に眠って、シュウ。」

「分かった。」

シュウはシーツをめくり、ハルカの隣に寝転ぶ。

腕を伸ばし、ハルカを抱きしめた。

ハルカはその胸に顔をうずめる。

「ゆっくりおやすみ、ハルカ。」

シュウがハルカの髪を撫でる。

「それはそうと――。」

シュウがこちらを見る。

「君は何をやってるんだい、マナフィ?」

「マナ?」

マナフィは突然の呼びかけに首を傾げる。

マナフィは部屋に置いてあった椅子を引きずっていた。

ハルカもシュウの胸から顔を上げて不思議そうにマナフィの行動を見ている。

やっとのことでマナフィは部屋の中心に椅子を運んだ。

二人が話し始めた頃からベッドを降りて引きずっていたが、かなり時間がかかってしまった。

マナフィは椅子によじ登る。

座るのではなく、椅子の上に立って二人を振り返った。

「ハルカ、いまからねむるー。マナフィ、こもりうたうたってあげるー。」

「……本当?」

ハルカが不安そうに言う。

もしかして、まだマナフィが怒っていると思っているのだろうか。

「ほんとー。ハルカがげんきになるようにってしんでんとうたうー。」

マナフィの言葉に、ハルカはほっとしたように頬を緩める。

ハルカが再びシュウの胸に顔をうずめるのを確認して、マナフィは歌い始めた。






ハルカが穏やかな寝息を立て始めたので、マナフィは歌うのをやめた。

ぴょんと椅子から飛び降りる。

この位置が一番神殿と声を合わせやすいのだけど、いちいち椅子を運ばないといけないのが面倒だ。

でも、ハルカのためならそれくらいは喜んでする。

ハルカが穏やかに眠ってくれるんだから。

マナフィが椅子をテーブルに戻そうとした時、シュウの呼ぶ声が聞こえた。

トテトテ駆けて行ってベッドに乗ると、ハルカを抱きしめたシュウが微笑んでいた。

「それくらいはぼくが後でやっておくからいいよ。」

「ありがとー、シュウ。」

お礼を言って、ハルカの枕元に座る。

椅子を運ぶのはハルカのためとは言え、結構疲れるのだ。

「マナフィ。」

「マナ?」

向かい合ったシュウが穏やかに言う。

「ありがとう。」

「……なにがー?」

お礼を言われたらどーいたしましてと言うのがいいとは教えてもらったが、何に対してお礼を言われているのか分からない。

首を傾げるマナフィにシュウは言葉を紡ぐ。

「意地を張り合っているぼく達を素直にさせてくれたのは君だから。本当にありがとう、マナフィ。」

「どーいたしましてー、シュウ。」

そういう意味のお礼だったらしい。

確かに、二人はいじっぱりだった。

でも、それもまた二人なのだ。

マナフィのパパとママなのだ。

「シュウとハルカ、にたものふーふだからしかたないー。」

「……。」

いきなりシュウが黙り込んだ。

「シュウ?」

「……マナフィ、それ、意味分かって使ってる?」

「いみー?」

どこかおかしかっただろうか?

「いや、間違ってはいないんだけど、そう言われると複雑というか何というか……。」

シュウがぶつぶつ何かを呟いているが、おかしくないのならそれでいいのではないかと思う。

マナフィは二人が大好きだということに間違いは無いのだし。

マナフィはシュウの胸に体を預けているハルカを眺める。

まだ昼にもなっていないけど、自分も寝よう。

マナフィもベッドに潜り込む。

「マナフィ?」

「マナ?」

「どうしてこっちに来ないんだい?」

マナフィが潜り込んだのはハルカの背中側。

いつものマナフィの位置にハルカがいる。

つまり、マナフィとシュウの二人でハルカを挟んでいる。

「きょうはマナフィがハルカだきしめてあげるのー。」

マナフィはハルカの背中にくっついてぎゅっと抱きしめる。

シュウみたいに大きくないからハルカを全部抱きしめることは出来ないけれど、マナフィは満足だった。

「君は優しいね、マナフィ。」

シュウがハルカの背に回した腕を一旦解いて、マナフィの頭を撫でてくれる。

「シュウ、ハルカげんきになるー?」

「なるさ。君とぼくが抱きしめてあげてるんだからね。」

シュウがまたハルカをぎゅっと抱きしめたので、マナフィもハルカの体を抱きしめる。

安らかな息遣いが全身に感じられて心地良かった。

「おやすみ、マナフィ。」

「おやすみー、シュウ。」

そしてハルカ。

二人は心の中で愛しい名前を呟いて目を閉じた。

 

 

 

 

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