蒼海は歌う 愛と喜びを 



第四章   マナフィの道案内

 

 

 

 

 

 



マナフィが廊下に沿って流れる水路をパシャパシャと跳ねていく。

時々振り返り、鳴き声と共に二人を手招きした。

「どこまで行くんだろう?」

「分からないわ。わたしもこっちの方には来たこと無いから。」

ハルカは長い廊下を見渡す。

前にこの神殿に来た時は、奥へ奥へ一直線に進んでいた。

しかし、今はマナフィの案内の元、同じ奥なのだけれど、違う奥へ進んでいるような気がする。

ハルカが考えている内に、マナフィは水から上がる。

そこは大きな扉の前だった。

マナフィがペチペチとその扉を叩く。

「ここを開ければいいの?」

「マナ!」

ハルカが扉に付いていた取っ手を引く。

少し力を込めただけで、扉は簡単に開いた。

扉の中にあったのは――。

「わあっ!」

色々な物が置いてある広い部屋だった。

色々な物、それはテーブルや椅子、タンスにソファーなどなど。

「ベッドまであるー!」

白いシーツが敷かれた大きなベッドにダイブしようとするハルカをシュウは慌てて引き止めた。

「何でとめるのよ?」

不機嫌な声で言うハルカに、シュウはため息をつく。

「君ね……、今の君がベッドに飛び乗ったら、ベッドはどうなると思う?」

シュウに言われて、ハルカは自分の体を見下ろす。

水滴こそ落ちていないものの、海水で二人の服はぐっしょりと濡れていた。

「あは……、マナフィに会えて嬉しかったから、海で溺れたことなんて忘れてたかも……。」

ハルカの空笑いにシュウは呆れる。

「全く……もう少し自分の置かれた状況を考えるんだね。」

シュウは部屋の中心に歩いていき、部屋をぐるりと見渡した。

「この部屋はどう見ても人間のために作られたものだね。」

「そういえば……アクーシャは大昔は漂流してなかったんだから、水の民はアクーシャで水ポケモンと交流できてたのよね。じゃあ、アクーシャに住んでた水の民もいたのかも……。」

ハルカはシュウをそっちのけでぶつぶつ独り言を言い始めた。

よく聞いてみると、「水の民って海沿いを旅してたのよね。」とか、「でも、旅しないで神殿で水ポケモンと一緒に暮らしてた水の民もいたのかも。」などと呟いている。

「ハルカ。」

「漂流する前だったら、海の王冠を泥棒から守る役目の人だって必要だっただろうし……って何、シュウ?」

「マナフィが呼んでるよ。」

見ると、マナフィが大きなタンスの前でハルカとシュウを手招きしていた。

「なあに、マナフィ?」

タンスの前まで行って、ハルカがマナフィに視線を合わせるためにしゃがむ。

「マナ!マナ!」

マナフィはタンスをペチペチと叩いた。

「これも開けるの?」

「マナ!」

タンスの引き出しを開けてみると、そこには色とりどりの衣が入っていた。

「これは……水の民の服?」

ハルカが衣を手にとって広げてみる。

ひらひらと優雅に裾や袖口が広がったカラフルな衣だった。

「水の民っていったら、青一色のイメージがあったから、この服はちょっと意外かも……。」

「逆に、これが水の民らしいと言えるのかもしれないよ。熱帯の水ポケモンみたいな服だし。」

「確かにそうかも……。」

今度は部屋に備え付けられていた小さな扉の前で、マナフィが二人を招く。

その扉も開けてみると、中は洗面所で、そのまま浴室に続いていた。

マナフィが蛇口を捻ると、湯気を立てて浴槽に湯が落ちていく。

「シャワーまである……。水の民って何者なの……?」

「この神殿を作れるくらいの凄い技術力を持った人達なんだ。これくらい出来ても不思議じゃない。」

シュウは蛇口から落ちる湯に手を浸す。

熱過ぎず、ぬる過ぎず、ちょうど良い温度だった。

「水の民は技術力だけじゃなくて、生活空間の快適さにかける熱意も凄かったんだろうね。」

なんとなく、ハルカに似ている。

シュウはクスクスと笑った。

「……何笑ってるのよ?」

「別に。それよりも、自分のサイズに合った服を選んでこよう。早くお風呂に入って温まらないと風邪を引いてしまうよ。」

「お風呂に入るって……。」

シュウのクスクス笑いがニヤニヤ笑いに変化した。

「もちろん一緒に入るに決まってるだろう?君に風邪を引かせるわけにはいかないし、ぼくも風邪を引きたくないし。一緒に入るしか無いよね?」

「え、えと……。」

ハルカはきょろきょろと辺りを見回す。

身の危険を感じて、何とかそれを回避しようとしているのだ。

湯のたまり始めた浴槽で泳いでいるマナフィを見つけてパッと顔を輝かせる。

「マナフィも一緒にお風呂に入るわよね?」

湯船で泳いでいたところを抱きかかえられて、マナフィは首を傾げる。

「マナ?」

「一緒にお風呂に入って遊ぼうねー。」

「いっしょ!あそぼー!」

マナフィがハルカの言葉を繰り返してきゃっきゃと笑う。

シュウは二人に聞こえないように小さく舌打ちした。




「ベッドふかふかー!気持ちいいかもー!」

「ふかふかー!きもちいー!」

ハルカとマナフィがベッドで転がりながら遊んでいるのを横目に、シュウは帯を締めた。

水の民の衣はゆったりとしていて着心地が良い。

浴衣によく似たデザインだが、それよりもずっと柔らかな生地を用いているため堅苦しくない。

ハルカは赤い布地に白い模様の衣を着て、紺の帯を締めている。

自分は明るい水色の衣を着て、紫の地に黒の縫い取りの帯を締めた。

自分がどうなのかは分からないが、ハルカはとてもよく似合っている。

シュウはベッドに腰を下ろし、マナフィと戯れていたハルカの髪を梳いた。

マナフィもシュウを真似て、ハルカの髪を触る。

「ちょっとくすぐったいかも……。」

「いいじゃないか、これも愛情表現なんだから。」

「あいじょーひょーげん?」

ハルカの髪を撫でつつ、マナフィがシュウの顔を見上げる。

「ハルカが好きだってことさ。」

「ハルカすきー!あいじょーひょーげん!」

ぴょんとマナフィはハルカの胸に抱きつく。

マナフィを抱きしめながら、ハルカは愛しい人の手を感じていた。




「そういえば、今まで忘れてたけど、気になることがあるの。」

しばらくシュウの手に髪をあずけていたハルカが言う。

「何だい、ハルカ?」

「どうしてわたし達が海に落ちたのか。」

シュウはハルカの髪を撫でる手を止め、少し考える。

「……今の時期、シンオウには海流の関係で流氷が押し寄せるんだ。もちろん、ライラック号のように大きな船は流氷なんか物ともしない。でも、その中に氷山が混ざっていたとしたら……。」

「じゃあ船は!?」

ハルカが飛び起きる。

マナフィが振り落とされまいと必死でハルカにしがみ付いた。

「大丈夫だよ、ハルカ。」

シュウはハルカの肩を抱いて優しく横たえる。

「氷山といっても、北極にあるような大きな氷山とは違う。ぶつかったとしても大したことは無いはずだ。」

「良かった……。」

ハルカがほっと体の力を抜く。

マナフィもハルカの服を握る力を抜いた。

「仮に穴が開いたとしても、船はそう簡単には沈まない。遭難信号を出すなり、近くの港まで急いで行くなりできるはずだ。」

ただ、とシュウは続ける。

「心配なのは、ぼく達みたいに船から落ちた人が他にもいるんじゃないかということだ。」

「……。」

ハルカはマナフィを抱き上げて、自分の顔の前に持ってきた。

「マナフィ、わたし達の他に誰か海の中にいなかった?」

「マナ?」

「大きな船から、わたしとシュウの他に落ちてきた人がいた?それともわたし達だけ?」

「いなかったー。うみのなか、ハルカとシュウだけー。」

「そう……。」

ハルカがほっとしたようにマナフィを抱きしめた。

「きっと、天気が悪くて風が強かったから、ぼく達以外は甲板に出ていなかったんだろうね。」

「良かった……。」

ハルカがマナフィに頬擦りする。

「ありがとう、マナフィ。海に落ちたわたし達を助けてくれて。」

「どーいたしましてー!」

マナフィがぴょんと起き上がる。

「ハルカとシュウ、うみにおちたー!マナフィ、ふたりたすけたー!」

マナフィがたどたどしく、しかし何とか伝えようと頑張る。

ハルカとシュウの手を取り、引っ張るような動作をした。

「アクーシャまで頑張って引っ張ってきてくれたのね。」

「ありがとう、マナフィ。」

「どーいたしましてー!」

マナフィがはしゃぐ。

二人はマナフィの頭を撫でた。




「もう一つ心配なのはポケモン達のことだけど、誰かが保護してくれてるだろう。」

「わたし達が船に乗ってないって知ったら、みんな心配するかな……。」

シュウもハルカの隣に寝転んで、ハルカの顔を眺める。

ハルカはポケモン達のことを思い出しているのか、少し落ち込んでいるようだった。

「大丈夫だよ、ハルカ。ぼく達はこうやって生きてるんだし、元気な顔を見せたら、みんなきっと安心して喜んでくれるよ。」

「だいじょーぶ!だいじょーぶ!」

マナフィがぺたりとハルカの頬に手を当てる。

マナフィの無邪気な笑顔を見て、ハルカの頬も緩んだ。

「そうね……。」

ハルカの目がとろんと閉じかける。

「安心したら眠くなってきたかも……。」

「ほとんど寝てないからね。気絶してたのもあんまり長い時間じゃなかったようだし。」

シュウはハルカの頭を撫でた。

「少し眠ろう、ハルカ。まだ考えなくちゃいけないことはあるけど休まないと。」

「そうね……、おやすみ、シュウ、マナフィ……。」

「おやすみー?」

ハルカは微笑んだ。

「眠るときの挨拶よ。ゆっくり眠れるようにおやすみって言うのよ。」

「おやすみー、ハルカー、シュウー。」

マナフィを胸に抱き、ハルカは目を閉じる。

マナフィも体を丸めてハルカに寄り添った。

二人はすぐに寝息を立て始める。

穏やかな寝息だった。

シュウはそんな二人を微笑ましく思いながら見つめる。

本当の親子みたいだ。

ハルカが会いたがっていた子ども。

人間の言葉をしゃべるポケモンだけど、ほとんど人間の言葉を覚えていない。

覚える前に別れてしまったんだろう。

「良かったね、ハルカ。」

また会えて。

また傍にいられるようになって。

でも――。

「面白くない……。」

シュウはムスッとした顔になる。

微笑ましいと思っているのは本当、再会できて良かったと思っているのも本当。

しかし、面白くない。

「そこはぼくの特等席なのに……。」

シュウはハルカの胸で眠るマナフィを見据える。

人間と同じように成長の遅いポケモンなのだろう。

生まれて5年も経つのに、まだまだ子どものようだった。

子どもにこんな感情を抱くなんて大人げないと自分でも分かっているのだが。

「ハルカはぼくのものなのに……。」

ハルカを母親のように慕っているのだろう。

もしかしたら、ある種のポケモンのように、初めて見たものを母親と思い込む習性があるのかもしれない。

それがたまたまハルカだったのだろう。

それは十分理解しているのだが――。

「ずるい……。」

ハルカに抱きしめられて眠るなんて。

自分だって、抱きしめて眠ることはあっても、抱きしめられて眠るなんて無かったのに。

そもそも、ハルカを抱きしめて眠ろうものなら、明け方まで眠れないことだってあったのに。

やっと、穏やかにハルカと眠れる日が来たと思ったのに。

さっきのお風呂だって、マナフィはずっとハルカにくっつき放しで。

ハルカと一緒に体を洗ったり、ハルカと一緒にバンダナを湯船に浮かべて泡を集めて遊んだり。

せっかく水着を着ていないハルカと一緒にお風呂に入ったのに、一度もハルカに触ることが出来なかった。

「子どもはずるい……。」

じっとマナフィを見つめていると、マナフィは寝返りを打ってハルカの胸に顔をうずめた。

ず、ずるい!羨ましい!

思わずマナフィを引き剥がして自分がハルカの胸に顔をうずめたい衝動に駆られていると、どこからか微かに声が聞こえた。

耳をすませると、それはハルカの胸から聞こえてくる。

「……カモー、すきー……。」

小さな小さな、それでも安心し切った呟き。

シュウは熱くなった頭がすっと落ち着いていくのを感じた。

ああ、マナフィもハルカに会いたかったんだ。

言葉もまだろくに覚えていないのに、ハルカと別れて。

それからずっと人間に会っていなかったのだろう。

自分達がしゃべるたびに、懸命に繰り返して言葉を覚えようとする。

人間の言葉が恋しかったのだろう。

人間の言葉はハルカの言葉だから。

「ハルカはカモって呼ばれてたのか……。」

ハルカの口癖を思い出し、シュウはクスリと笑う。

今は名前で呼んでいるけれど、生まれたばかりの頃はカモと呼んでいたのだろう。

そう、別れる直前まで。

「やっと、お母さんの名前を覚えたのに、名前を呼べなくなってしまったんだね……。」

だから、あんなにハルカに会えて嬉しそうだったのだ。

だから、あんなにハルカの名前を繰り返していたのだ。

ハルカがマナフィに会いたがっていたように、ハルカがマナフィの名前を繰り返していたように。

「しょうがないから特等席は譲ってあげるよ。」

せっかくお母さんに会えたんだから。

「……今日だけだけど。」

やはりシュウは大人げなかった。

 

 

 

 

 

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