蒼海は歌う 愛と喜びを
第七章 ママは誰のもの?
一生忘れられない、海を飛び回ったあの日から数日が過ぎた。
シュウとハルカは相変わらず水の民の衣を着てアクーシャで生活している。
二人の着てきた服はとっくに乾いているのだが、二人は水の民の衣が気に入ったらしい。
毎日カラフルな衣を着て、海の神殿を南の海のように彩っていた。
「ハルカ、シュウ、あそぼー!」
マナフィが神殿に住み着いている水ポケモン達と一緒に、庭園でくつろいでいた二人を遊びに誘う。
「かくれんぼしよー!シュウおにー!ハルカ、マナフィとにげるー!」
「ぼくが鬼って、普通じゃんけんか何かで決めるんじゃ……。その前に、ぼくも参加決定なのか……?」
「文句言わないの、シュウ!」
ハルカが元気良く立ち上がる。
「せっかくマナフィが誘ってくれたんだから!シュウ、100数え終わるまで目つぶっててね!」
「みんなもにげるー!はやくはやくー!」
この数日でかなり言葉を覚えたマナフィがはしゃぐ。
水ポケモン達が隠れる気配を感じながら、シュウは目を閉じた。
「マナフィ、見つけた。」
茂みをかき分け、シュウはマナフィを抱き上げた。
「マナフィみつかったー!シュウつよいー!」
捕まったマナフィが嬉しそうにシュウに抱きつく。
「これであとはハルカだけか……。」
見つけたポケモン達を数えて、シュウは辺りを見回す。
この庭園で隠れられそうな場所……今まで茂みばかり探してきたけれど、あのハルカのことだから――。
「やっぱりここにいた。」
ハルカは庭園で一番大きな木のてっぺんにいた。
赤い裾が木の葉の間でひらひら揺れている。
「シュウが見当違いの所ばかり探してるから、笑いを堪えるのに必死だったかも。」
柔らかな声が振ってくる。
シュウはハルカを見上げ、その笑顔に応えた。
「気をつけて下りるんだよ、ハルカ。君が落ちると、マナフィが泣くからね。」
シュウに抱きかかえられたマナフィがハルカに手を振る。
枝に座ったハルカは微笑んでマナフィに手を振り返した。
手を下ろして立ち上がり、枝を伝って軽やかに降りてくる。
トンと地面に降り立つと、マナフィがシュウの腕からハルカに飛び移った。
「君がそんなに木登りが得意だなんて思わなかったよ。」
「人は見かけによらないって言うでしょう?」
「いや、こういう野性的なことが得意っていうのは見かけ通りなんだけど。」
「どういう意味よ!」
ハルカがマナフィを胸に抱いて怒る。
マナフィはハルカの不機嫌な顔を困惑気味に見上げていた。
「ほら、そんなに怒らない。マナフィがビックリしているよ。」
シュウはマナフィの頭を優しく撫でた。
「怒らせたのはシュウでしょう?」
続けてハルカの頭もよしよしと撫でる。
「君の性格からしたら、アウトドアっぽい遊びは大得意だと思ったんだ。」
「女の子らしくなくて悪かったわね。でも、シュウはわたしが木登り得意だとは思ってなかったんでしょう?」
シュウはハルカの前髪を片手で上げ、額に口付けた。
「女の子らしくないなんて言ってないよ。君はとても魅力的だ。」
「……話をそらさないで。」
ハルカが赤くなってマナフィを抱きしめる。
「君、シンオウにいた時、カビゴンから降りようとして足を滑らせただろう?だから、不安定な場所でバランスをとるのは苦手だと思ってたんだ。」
「……あれはカビゴンが降りるの邪魔してたから滑っただけかも。」
ハルカが落ちた後のことを思い出してますます赤くなる。
シュウはそんなハルカを優しく抱きしめた。
「可愛いね、ハルカ。」
「マナフィ、ひまー。あそぼー。」
マナフィがハルカの腕の中からぴょこりと顔を出す。
「……マナフィ、こういうときは邪魔しないものなんだよ。」
「じゃまー?マナフィ、わるいこー?」
「マナフィはいい子よ。悪い子はシュウ。所構わず人を抱きしめるんだから。」
ハルカはするりとシュウの腕から抜け出す。
「さあ、かくれんぼの続きをしましょう!次の鬼は誰?」
ポケモン達の方へ駆けて行くハルカの後姿をシュウは面白くなさそうに眺めていた。
――マナフィはずるい。
シュウはベッドに腰掛けて、奥の部屋から響いてくる水音を聞いていた。
あれからずっとかくれんぼをして遊んだ。
疲れたら庭園の芝生の上で眠って。
起きたらまたみんなで走り回る。
そうして暗くなるまで水ポケモン達と戯れていた。
今、ハルカとマナフィの二人は風呂に入っている。
二人の笑い声がベッドまで届く。
面白くない。
自分だってハルカと風呂に入りたいのだ。
それでちょっと悪戯なんかもしたりして。
なのに、マナフィがハルカと一緒に風呂に入りたがるからそれが出来ない。
今日だって自分だけ先に入らされた。
ハルカはどうも自分を警戒しているらしい。
マナフィはそんなハルカの味方をして、自分を浴室に追いやったのだ。
シュウはその時のことを思い出す。
「ハルカ、お風呂が沸いたよ。一緒に入ろう。」
シュウの言葉に、マナフィを抱いてベッドに腰掛けていたハルカがピクリと動く。
「……また一緒に入る気?」
「またって言っても、ここに来た最初の日だけじゃないか、一緒に入ったのは。たまには一緒に入らないかい?」
シュウの顔には最初の日と同じニヤニヤ笑いが浮かんでいる。
――このままじゃ強引に押し切られる。
その時と同じ危険を感じたハルカは、膝の上に乗せているマナフィに向かい合った。
「ねえ、マナフィ。わたしとお風呂に入って遊びたい?」
「あそびたいー!マナフィ、ハルカとあそぶー!」
マナフィが笑顔でハルカの胸に抱きつく。
「でもね、シュウと一緒に入ると、あまり遊べなくなっちゃうのよ。」
「ハルカあそべないー?なんでー?どーしてー?」
マナフィがハルカの胸から離れて顔を見上げる。
「シュウは悪い子だから、マナフィがわたしと遊ぶのを邪魔するのよ。」
「シュウ、わるいこー。」
「だから、シュウには先にお風呂に入ってもらいましょう。」
マナフィがくるりとシュウを振り返る。
「シュウ、さきにおふろはいるー。マナフィ、ハルカとおふろはいるー。」
「……マナフィ、君はぼくのことが嫌いなのかい?」
「シュウすきー。でも、マナフィのじゃまダメー。マナフィ、ハルカとあそびたいー。」
「ほら、シュウ。マナフィもそう言ってることだし、先にお風呂に入ってきて。」
言わせたのは君じゃないか。
シュウの心のツッコミも空しく、ハルカは笑顔で手を振った。
マナフィもハルカを真似て手を振り、シュウを二人の世界から追い出しにかかる。
抵抗するだけ無駄だと悟り、シュウはため息をついて浴室に向かった。
回想終了。
子どもにお母さんを取られて悔しがる世の中のお父さんの気持ちがよく分かる。
シュウは頭を抱えていた。
水音と笑い、そして、ハルカの楽しそうな声とマナフィの鳴き声が聞こえてくる。
「マナフィ、くすぐったいわよ!」
「マナ!」
「やんっ!もう、マナフィったらやめてよー!」
「ハルカやわらかいー!ぷにぷにー!」
どこに触ってるんだ、マナフィ!
思わず浴室に踏み込みたい衝動に駆られる。
シュウは必死に自分と戦っていた。
大人気ないところを見せるなんて出来ないというプライド、ハルカを取り上げてしまいたいという独占欲。
それがシュウの中で大激突を起こしていた。
今は何とかプライドが勝っている状態だが、二人の会話を聞き続けたらどうなるか分からない。
「ハルカぷわぷわー!すべすべー!」
ああ、最後の砦が崩れようとしている。
シュウはよろよろと立ち上がって、浴室に向かおうとする足を抑えつつ、何とか部屋を出た。
「シュウ、どうしてこんなところで寝てるの?」
昼間遊んだ庭園でシュウがバッタリ力尽きていると、風呂上りのハルカがやってきた。
水飲み場で戯れるマナフィの傍で笑っている。
シュウはそんな二人を横目で眺めながら、世の中の不条理に浸っていた。
おおげさではなく、それ程までにシュウのダメージは大きかった。
大騒動の末に結ばれたのがついこの間。
この間まではハルカの傍にいられるだけで良かった。
しかし、それでは足りなくなって、ハルカの全てを手に入れて。
泣いてばかりだったハルカは、今ではいつも楽しそうに笑っている。
「ほら、シュウもお水飲んだら?」
ハルカが部屋から持ってきたグラスに水を汲んで差し出した。
シュウは起き上がってグラスを受け取り、中の水を一気にあおる。
飲み終わってじっとハルカの顔を見つめた。
「どうしたの、シュウ?」
ハルカが微笑んだまま尋ねる。
「……足りない。」
「もっと飲みたいの?」
「……違う。」
全てを手に入れたとしても、それはその時のハルカだけなのだ。
この間のハルカと今のハルカは同じではない。
ハルカは一瞬一瞬で変わっていく。
心は流れる水のように、体は光を受ける森のように、日々成長し形を変えていく。
今だって、ハルカは成長している。
マナフィに再会し、見たことの無かった優しい顔をするようになった。
今までだって優しい顔をしていたのだけれど、それよりもずっと大きな優しさを湛えている。
全てを包み込むような優しさ。
その優しさでくるまれたい。
その優しさの全てが欲しい。
「シュウ、そろそろ寝ましょう。」
しゃがんでいたハルカが立ち上がる。
シュウも立ち上がり、マナフィを抱いて歩き出したハルカの後を追った。
ベッドの上でマナフィがハルカに駆け寄る。
マナフィはハルカがここに来てからずっとハルカに抱きしめられて眠っている。
結局、シュウはマナフィが可愛いのだ。
だから、ハルカを取られても我慢していた。
しかし――。
「マナ?」
シュウはハルカの胸に飛び込もうとしたマナフィを抱き上げる。
ポスッとベッドの端にマナフィを置き、ハルカを抱きしめて白いシーツに寝転んだ。
「シュ、シュウ?」
上ずった声が降ってくる。
シュウは無言でハルカの胸に顔をうずめていた。
「シュウー?マナフィ、ハルカとねたいー。」
トテトテとベッドの上を移動し、マナフィがシュウの背中に呼びかける。
シュウはハルカを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。
「シュウ……。」
ハルカの困ったような声が直接体に響く。
ゆさゆさとシュウを揺さぶっていたマナフィが何かを思いついたように顔を輝かせた。
「シュウ、やきもちー!マナフィにかわってほしいっておもってるー!」
「……そうなの、シュウ?」
答える代わりに、シュウは腕にますます力を込める。
その様子をじっと見ていたマナフィは、少し考えるとベッドから飛び降りた。
「マナフィ、どこに行くの?」
シュウに抱きしめられて身動きの取れないハルカは、それでも何とかマナフィに顔を向ける。
「マナフィがいつもねてたところー。きょうはシュウにハルカあげるー。」
マナフィは扉に駆け寄り、くるりと振り返った。
「ハルカ、シュウ、おやすみー。」
少し開いていた扉の隙間から出て行く。
しかし、すぐに扉から顔を覗かせた。
「シュウ、あしたマナフィにハルカかえすー。あげるのきょうだけー。」
念を押すマナフィに、シュウは返事をしない。
しかし、マナフィは気が済んだのか、扉を閉めてどこかへ行ってしまった。
「子どもに気を遣わせるなんて、シュウは悪いパパね。」
しばらくマナフィの出て行った扉を見つめていたハルカが言う。
「……ハルカはぼくのだ。ぼくがマナフィに貸してやってるんだ。」
「はいはい。」
胸に顔をうずめたまま、くぐもった声で反論するシュウの髪をハルカは撫でる。
「マナフィを愛することが一番だなんて言っておいて随分自分勝手なのね。」
言葉だけ聞けばシュウを責めているようだが、ハルカの声は笑いを含んでいた。
「ここにいる間は思いっきりマナフィに甘えさせてあげようと思ってたのに。」
「……ぼくだって君に甘えたい。」
ストレートな言葉にハルカは驚く。
「珍しく素直ね、シュウ。マナフィに影響されたのかしら?」
シュウはその言葉を無視する。
「ぼくだって君に愛されたい。君がマナフィばかりに構うから、とても面白くない。」
「シュウは凄くやきもち焼きね。子どもにまで妬くなんて。」
ハルカはぎゅっとシュウの頭を抱きしめる。
「愛してるわ、シュウ。あなたを誰よりも愛してる。」
「……でも、君はマナフィにばかり笑いかけるじゃないか。」
大人しく抱きしめられたまま、シュウは小さくぼやく。
「マナフィは久しぶりに会った可愛い子どもだもの。シュウと比べることなんてできないわ。どっちも大切。」
ハルカはシュウの拗ねたような言葉にクスクス笑う。
「でもね、マナフィを抱きしめてもこんなにドキドキしないわ。」
シュウに微笑みかけて、ハルカは体に絡み付いた手を取る。
その手を自分の帯に導いた。
「そして、こんなことをするのもあなたとだけ。」
「……当たり前だよ。」
シュウは身を起こして、ハルカの両脇に手を付く。
ハルカは自分を見下ろすシュウの頬に手を伸ばした。
「やっと機嫌が直ったわね。シュウの方がマナフィより子どもかも。」
「君に愛されていられるなら、ぼくはそれでも満足だよ。もっとも、子どもっていう立場より、恋人の方がいいけどね。」
こういうことができるのは恋人だけだから。
「愛しているよ、ハルカ。だから、今夜はぼくだけを見て、ぼくだけを感じて、ぼくだけを愛して。」
「随分わがままね、シュウ。」
「君が愛したのはそういう男なんだよ。」
シュウはハルカに唇を落とした。